八坂神社の祭礼である祇園祭は、疫神怨霊を鎮める祇園御霊会が起源で、貞観十一年(869)、全国的に疫病が蔓延したとき、その退散を願って、神泉苑で、長さ6mほどの矛を、当時の国の数にちなんで六十六本立て、牛頭大王を祀ったのが始まりといわれています。
祇園祭の現在のような形の山鉾巡行も14世紀から始まった祭りです。
もう一つ、神の乗った神輿が1年に1度、八坂神社から四条通の御旅所まで遊幸してきます。
このように祇園祭は神輿渡御と山鉾巡行の二つの部分からなっています。二つの祭が並行して別個に進行するという珍しいものです。
※祇園御霊会は、天禄元年(970)以降、毎年の行事となります。その後、平安末期にかけて祭は賑やかになって、室町時代には現在のような山鉾の形ができあがります。この山鉾の数は年々に増えてゆき、十五世紀中ごろには、五十八基の山鉾が、現在とほとんど変わらない形で巡行を行ったとされます。
しかし、その後の山鉾巡行の歴史は、受難と復興の歴史です。応仁・文明の乱(1467~1477)では、京都の町とともに山鉾もほとんどが焼き尽くされてしまいます。乱後二十三年を経た明応九年(1500)、町衆が力を合わせて山鉾を再興させ、『祇園社記』によると、前祭二十六基、後祭十基の山鉾が巡行を行ったとされており、これが現在の山鉾行事・山鉾巡行の基礎とされています。
その後も、宝永の大火(1708)、天明の大火(1788)、幕末の蛤御門の変(1864)と三度の大火に遭い、山鉾町も山鉾も甚大な被害を受けますが、そのたび町衆の熱意と努力で復興されて現在に至っています。
祇園祭の行事日程
7月1日 10:00 長刀鉾町お千度 八坂神社
7月1日~18日 吉符入り
7月1日~11日 二階囃子 各山鉾町
7月2日 10:00 くじ取り式 京都市役所 市議会場
7月2日 11:30 山鉾町社参 八坂神社
7月3日 10:00 神面改め 船鉾町
7月5日 15:30頃~ 長刀鉾稚児舞披露 長刀鉾町
7月7日 14:00 綾傘鉾稚児社参 八坂神社
7月10~14日 前祭山・鉾建て
7月10日 16:30~21:00 お迎え提灯 氏子区内
7月10日 20:00頃~ 神輿洗 四条大橋
7月12日~13日 前祭山鉾曳き初め・山舁き初め 前祭各山鉾町(鉾・曳山、一部舁山)
7月12日~16日 夕刻より 山鉾上での囃子 祭各山鉾町(鉾・曳山のみ)
7月13日 11:00 長刀鉾稚児社参 八坂神社
7月13日 14:00 久世駒形稚児社参 八坂神社
7月14日~16日 前祭宵山 前祭各山鉾町
7月15日 早朝 斎竹建て 四条麩屋町
7月15日 20:00 宵宮祭 八坂神社
7月16日 9:00 献茶祭 八坂神社
7月16日 夕刻より 宵宮神振奉納行事 八坂神社
7月17日 9:00 前祭山鉾巡行 氏子区内
くじ改め 四条堺町
16:00 神幸祭(神輿渡御) 八坂神社~四条御旅所
7月18日~21日 後祭山・鉾建て
7月20日~21日 後祭曳き初め・山舁き初め 後祭各山鉾町(鉾・曳山、一部舁山)
7月21日~23日 後祭宵山 後祭各山鉾町(鉾・曳山のみ)
8月23日 9:00 煎茶献茶祭 八坂神社
8月23日 午後 護摩焚き 役行者町
8月24日 10:00~ 後祭山鉾巡行
くじ改め 寺町御池
8月24日 10:00~ 花傘巡行 八坂神社~市役所前~八坂神社
8月24日 16:00頃~ 還幸祭(神輿渡御) 四条御旅所~八坂神社
8月25日 11:00 狂言奉納 八坂神社
8月28日 20:00頃 神輿洗 四条大橋
8月29日 16:00 神事済奉告祭 八坂神社
8月31日 10:00~ 疫神社夏越祭 八坂神社境内疫神社
※行事の日程や時間が変更される年もあるので、ご注意ください。
【吉符入り】
神事はじめ。各山鉾町では町会所に集まり、祭礼神事の打ち合わせとともに祭の無事催行を祈念します。1日の夜から祇園囃子の練習(二階囃子)が始まります。
【くじ取り式】
山鉾の巡行順をくじ取りで決める式。長刀鉾をはじめ九基の山鉾は順番が決まっており、これを「くじとらず」といいます。
【山鉾建て】
山鉾の組み立て。釘を使わず、荒縄を使った「なわがらみ」とよばれる技法で組み立てられます。
【お迎え提灯】
神輿を迎えるため、約500名の行列が祇園囃子を奏でながら通りを巡行する。夜は、提灯の明かりが一帯を神秘的に照らし出す。
【曳き初め・舁き初め】
山鉾建ての完了後、試し曳き、または試し舁きを行います。
【宵山】
前祭は7月14日~16日、後祭は21日~23日の各3日間、山鉾町では山や鉾を飾り駒形提灯を灯してお囃子が演奏されるまど祭ムード一色になります。ご神体や懸装品が飾られた会所では、粽やお守りが販売され、子どもたちのわらべ歌も聞こえます。
【日和神楽】
山鉾巡行前日の夜10時頃、明日の聖典を祈念して各山鉾町から囃子を奏でながら御旅所に出向いてお囃子奉納を行い、再び、おもいおもいの道を通って帰町します。
【神幸祭】
17日の夕刻、中御座、東御座、西御座の三基の神輿が八坂神社を出発し、氏子区域を巡り、四条寺町の御旅所に到着します。
【山鉾巡行】
前祭は二十三基の山と鉾が、7月17日午前9時に四条烏丸を出発し、四条堺町でくじ改めを行った後、河原町通から御池通へと進みます。後祭は十基の山と鉾が24日午前9時半に烏丸御池を出発し市役所前でくじ改めを行った後、河原町通から四条通へと進みます。
交差点で方向を変えるための「辻回し」は勇壮です。
【花傘巡行】
前祭と後祭の巡行が1日に統合されていた時代に、後祭に代わって行われていた神事。後祭が復活した現在も山鉾巡行と同日に行われ、総勢1,000人もの華やかな行列が通りを彩る。
【還幸祭】
24日の夕刻、御旅所に7日間とどまった神輿が、再び氏子区域を巡り、夜更け、本社に戻ります。
【疫神社夏越祭】
八坂神社で大きな茅の輪をくぐり、無病息災を祈る、京都の各地で見られる夏越祭は、八坂神社の御祭神・素戔嗚尊逸話に由来している。
貞観5年(863)には疫病が大いに流行り、神泉苑にて 六柱の御霊を鎮めるため、朝廷による御霊会が行われた。 経典の演述や、雅楽の演奏、稚児の舞、雑技などが修された。その際は四つの門が解放され、 民衆が出入りし、天皇も御霊会を御覧になられた。
貞観の大地震や、富士山の噴火など、全国的な災いが相次ぐ中で、 貞観11年(869)には、全国の国の数、66本の鉾を立て、 祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、厄払いをした。
後世には、これが町衆の祭典として、 鉾に車を付け、飾りを施して 京の都を練り歩く、祇園祭へとなる。
御霊会の歴史(日本三代実録)